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市の北東約1.5kmの海上に浮かぶ大島は、周囲9.8km、伊予水軍の統領であった村上義弘誕生の地とも伝えられ、本丸跡・船かくし・防塞跡・桟橋跡など伊予水軍の遺跡が今も残っています。当時の大島は垣生島・くぐ島・黒島・大島の4つの島を総称して大黒島と呼んでいました。皇室の御領地となっていただけに、中央文化の影響も受け、平安時代に使われていた数々の言葉も現在に伝わっています。

大島へは黒島港より市営定期フェリーで15分、島の北側には自然海岸がほとんど残っている和井田海岸がございます。





毎年成人の日に行われる左儀帳(とうどばやし)は、東予地方の漁村でも見られますが、昔のままの作法でおもしろく行われるのは大島のみです。

正月3日、村の少年達が集めた門松・笹・注連縄を組み合わせて、高さ12mもある大きな「とうど」さんを各地区ごとに大小2つ作ります。そして成人の日午前3時頃に5つの地区が競って火を燃やします。

闇夜にあかあかと燃える光景は、まことに見事なものです。


大島は、古来から交通の要衝となっており、海上をその発展の足がかりとしていました。大島が水軍の根拠地の一つであったのもそのような理由からです。
舟かくし(左写真)もその一つで軍船を隠したところとされています。
本丸跡、二の丸跡など城塞や、舟くぼ(造船所)、武者洗跡、塹壕跡など各所に往時を偲ばせる遺構が今でも遺っています。


電話 0897-45-0512
市内で唯一の浄土宗の寺で、西暦1250年ころの慶派の作と言われる本尊(阿弥陀如来)は、見事なものです。(左写真)
この阿弥陀如来は、京の戦乱を避け、とある僧が宇摩群まで逃げ延び、安置していましたが、教典の極楽浄土は、大島であると感激し、願行寺を建立(1573年)したと伝えられています。
また、この寺には[幽霊の片袖](右写真)が残されていることでも有名です。
これは、幼い愛娘を残して先立った母が亡魂となってわが子の元に現れ、母を想い泣き暮れる娘に自らの片袖を遺したものと言われます。その後、娘は願行寺で尼となり、母の菩提を弔ったと伝えられます。
なお[幽霊の片袖]を見学されたい方は、一週間前までに電話予約にてご都合を合わせて下さい。


電話0897-45-1386
真言宗の寺で、貞観年間(859〜87年)に大島八幡神社が宇佐八幡宮から勧請された時に建立されました。飛び地境内にある地蔵堂には、現在の北条市出身の仏海上人が彫られた100体地蔵が安置されています。中央の地蔵の台裏には、寛保3(1743)年10月以吉日願主仏海如心と記されており江戸時代中期に作られた作品で、市指定の文化財です。(右写真)
また、大力士で知られる石槌島之助の供養碑もあります。身長・6尺4寸、体重49貫、足のサイズ53cmもの大男で、重さ100貫(375kg)の碇に綱が付いた物を1人で持ち上げるほどの力自慢でした。相撲取りとして紀州候に召抱えられ、島に戻った後は、子供達に読み書きを教えたと、伝わっています。(左写真)



欽明天皇の御世に伊勢神宮より勧請されたものと伝えられており、当初は明神谷に祀られていましたが、現在地に移築されました。
この神社本殿は、かつて大島八幡神社の本殿であったそうで、古風な建築様式を伝える貴重なこの建物は、市指定の文化財となっています。


大島〜黒島間約2.5km(所要時間15分)を結ぶフェリーは、大島住民にとって生活道路として欠くことのできない航路であり、昭和28年大島村との合併により、市が引き継ぎ全国でも数少ない市営フェリーとして今日に至っています。現在「おおしま」・「くろしま」の2艘で1日15往復運行されています。